● なぜ、鯨なのか

 

 多くのお客様から頂く質問がございます

  ─「なぜ、鯨料理の専門店という道を選んだの?」

 それは幼少期5歳
 はじめて鯨を食べた時に遡ります。

 「すごく美味しい」をきっかけに
 鯨に興味を持ち
 その力強さに惹かれ
 そしてその大きな鯨に挑み、獲り、食べる
 という始原的で根源的な営みが、
 今現代も続けられている事を知った時
 ある憧憬を抱きました。


        


 "鯨を獲り、食べるという営み"の根幹には
  今もなお
  太古から受け継がれる
  自然の一部、命の循環としての
 "人間本来の在り方"
 が息づいているように思えてなりません。
 
 美しくも厳しい海原に乗り出し
 力を合わせ、命を懸け

 「まるで自然そのものを体現した、
  大きく、強く、神々しい、

  そんな、畏敬の念を抱いてしまうような生命」に挑む。

 だからこそ、
  ”おいしいね、ありがたいね ”
 という
  " 命と自然をいただく悦びと感謝、畏れ多さ "
 を分かち合うことが出来る。

 そのかけがえのない時と場が
 人と人、互いの絆を深め、共に
命を紡ぎ続ける。

 その景色への共通の既視感
 世界観や自然観こそ
 ヒトという生物のDNAに刻まれ
 身体の奥底に宿り続けてきた何か
  ≒ 魂
ではないでしょうか。

 ただし、それは
 鯨を獲って食べる文化だけに限りません。
 他の魚の漁業、猪や鹿の猟
 それだけではなく養殖や畜産、農業も然り、です。
 捕鯨だけを
 特別視・
神聖化し過ぎるべき事ではありません

 しかし、それでも
 鯨には「説明できない何か」
 があるように思えてなりません。

 今も昔も
 文化や芸術、国境や政治という利害を越えて
 万人の心を打ち、問いかけ、波出たせて止まない
 「特別な何か」が ─

 幼少期5歳に感じた
 その「鯨を通じた憧憬」
 に関わりたいと願い続けてきました。
 しかし私は前職を含め
 「鯨を頂戴する、食べさせて頂く側」
 の立場を選択しました。
 現場で実際の捕鯨に携わり
 責任と危険を背負う当事者ではありません
 従いまして
 その私が鯨の文化をこのように(感じ)語る事は
 おこがましい事、この上ございません。
 漁師の皆様に強い感謝の思いこそあれ
 それ以上に負い目、申し訳なさに苛まれます。
 
 だからこそ
 精一杯丁寧に鯨を料理させて頂きます。
 鯨の
 「圧倒的な美味しさ
  そしてそれを超えた何か」
 をお伝えさせて頂く事を目指します。
 そして
 鯨を獲って食べるという文化の
 次の世代の形(憧憬)を
創造する役に立ちたい。
 そうすることで
 鯨に携わる一端を担わせて頂けるかもしれない、と。
 その想いでお店を作りました。

 どうぞこれからも、よろしくお願い申し上げます。


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以下、全ての写真は、
写真家 " 西野嘉憲 氏 " による作品 『鯨と生きる(平凡社)』 より、
特別な許可、弊店への支援のご厚意の元、掲載させて頂いています。




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