なぜ、鯨なのか
捕鯨 ─
鯨を獲って食べるという営みには、今もなお、
"人の古き良き、豊かなあり方" が息づいています。
先祖伝来の海で、力を合わせ命懸けで鯨に挑み、勝ち獲る。
「大変だったね、おいしいね、ありがたいね」という、
"悦びと感謝、畏れ多さと罪深さ" を仲間皆で分かち合う。
そのかけがえのない一時は、
村と村、国と国、言葉、宗教観のような境界線を、
時にはいとも簡単に超えたのでしょうか。
祖先はその喜びを「神話」や「伝統」として語り継ぎ、
人に共通する原体験として(きっと遺伝子にも)蓄積していった結果、
それはやがて食文化となり、人が生きる在り方の "土台" となっていきました。
しかしその「人としての原点、生きる力強さ」は、
少なくとも今の日本においては、
社会とはかなりズレた世界、価値観になってしまいました。
真の意味で豊かな未来を作り、次世代へ継承するには、
科学の進歩だけではなく「自然と共に生き、いのちをありがたく頂く」という、
「人々が祖先から受け継ぎ、命の奥に宿らせた "根幹" 」も不可欠であるはずです。
科学や金融の進歩が求められる今こそ、それは見直されべきではないか。
時代の激しい変化に流され、人々が本来の精神を見失いそうな時、
大切な何かを繋ぎ留めるという重要な役割を担う事ができるのではないか ─ ?
守らなければならないのは、
歴史や伝統という単なる言葉ではなく、
表面的な鯨肉の消費量の増加(商業・事業の成立)でもなく、
本当の意味での文化(喜びの連鎖・蓄積の結果)や、
それを連綿と紡いできた祖先の想いに共鳴し、
より良くしながら継承し、次世代に伝えたいという強い願いや魂だと思うのです。
そして、鯨という逆境に晒される文化が、
不死鳥の如く蘇りそれを担えれば、
きっと、他の分野を活性化させることにもつながると考えています。
以下、全ての写真は、
写真家 " 西野嘉憲 氏 " による作品 『鯨と生きる(平凡社)』 より、
特別な許可、弊店への支援のご厚意の元、掲載させて頂いています。